都会と自然の狭間で地球を学ぶ
2025年11月23日(日),日本山の科学会2025年秋季研究大会に際して,現地討論会が開催された.今回のテーマは「都心巡検―山手台地東縁の双丘とビル谷底と河口砂州―」である.東京都心という構造物に覆われた景観の下に隠された地形を,実際に巡検から読み解く試みであった.案内者は帝京平成大学の小森次郎先生である.普段は自然に覆われた山岳地域をフィールドとすることの多い参加者らにとって,高層建築に覆われた都心を山の視点で歩く体験は,貴重な機会となった.
午前9時,都営地下鉄・芝公園駅を出発した一同は,まず芝公園東側の凹地を観察した.ここはかつて海が入り込んでいた場所で,この周辺には日比谷入江と呼ばれる浅い内湾が広がっていた.現在の地形からも,ビル群に囲まれた低地としてその名残が感じられる.この凹地は,砂州の跡であるか,あるいは埋め立てによって生じたものであるかのいずれかと考えられる.続いて古川にかかる芝園橋へ移動した.古川は,渋谷方面から浜松町方面へと流れ,東京湾へと注いでいる.
次に小森先生より紹介されたのが「日本版ナスカの地上絵」である.芝公園と古川よりも南の三田寄りには,安政江戸図(1859年)に薩摩藩邸が描かれている.明治維新後,この場所は内務省によって買い取られ,殖産興業政策に伴い三田育種場と興農競馬場が設置された.明治14年(1881年)に作成された2万分の1迅速測図を見ると,この敷地内に島津家の家紋である「丸に十」と同じ形状が大きく浮かび上がる.この図形は,実は敷地内に設けられた競馬場の走路の形であり,直径約300メートルの円状の走路が偶然にもこの家紋の形になったのだという.これは偶然なのか,それとも明治新政府の実権を握った薩摩藩の権力が,地図作成者を忖度させたものなのか定かではないが,幕末の激動を経て明治の世に生まれ変わった土地が,古い地図の上に意外な幾何学模様を描き出している.今日は高層ビルに囲まれた都心でも,歴史の足跡をたどることができた.
芝園橋から古川の流れを観察したのち,日比谷通りを北上し,芝東照宮へと向かった.さらに芝東照宮から階段登山を経て,標高約20 メートルの台地上に位置する芝丸山へと登った.途中,芝東照宮北側の石段には生物学的風化が顕著にみられた.この芝丸山には,都内最大級の前方後円墳である芝丸山古墳があり,後円部の広場(頂上部分)には伊能忠敬の測量の功績をたたえる石碑が建てられていた.
芝丸山から北側に下山すると,芝公園のよく整備された広場に抜けた.途中は背の高い木々が多く薄暗かったが,一転してここはひらけており,北西には東京タワーが一望できる.ここから花壇や歩道を散策し旧台徳院霊廟惣門をくぐり,再び日比谷通りに戻り北上した.次に三解脱門を経て増上寺本堂へむかった.増上寺が台地の上に立地した理由も,この見晴らしの良さと防衛上の要地であったことに由来する.増上寺本堂からさらに北西に向かい,標高20メートルの紅葉山へと登った.紅葉山では,多くの植物が観察され,文字通り紅葉するイチョウやイロハモミジなどの木々がよくみられた.紅葉山を下山し終えると,東京タワーの直下へと到着した.
東京タワーのふもとから,西へ移動し,麻布台の日本経緯度原点へと向かった.周囲には大使館が多く位置し,この場所もロシア大使館の北側に位置している.この日本経緯度原点は,日本国内の測量の基準点であり,現在は石碑と原点の金属鋲しか存在しないものの,当時はこの場所に文部省所管の東京天文台が設けられていた.現在も用いられている測量法第11条では,「測量の原点は、日本経緯度原点及び日本水準原点とする」と規定されており,この日本経緯度原点は,日本国内における緯度と経度を測定する際の基準となっている.(写真1)
今回の巡検で特に印象に残ったのは,ところどころで立ち止まり,マンホールの観察と東京都下水道台帳を見比べた点である.道路に散在するマンホールの蓋を囲んで,その刻印や形状を見比べ,下水道台帳の記号と照らし合わせながら歩いた.蓋一つひとつが,地下を流れる管渠の深さや口径(大きさ),そして流下方向を示す手がかりになっていることを教わった.高層ビルや人工物で覆われている都心の街並みの中でも,下水道台帳という地下の地形図を片手にマンホールを読み解くことで,目に見えない下水道網の立体構造を,地表から追いかけることができた.
日本経緯度原点を離れた一同は,北上して超高層ビル群が立ち並ぶ神谷町方面へ向かった.日本の測量の基準点となったこの場所から,わずか数百メートル北に進むと,現代の高層ビル景観が急速に広がっていく.国道一号線から西にビル群の間の急な坂を登ると,仙石山に到着した.ここには,周囲のビルや住宅街のなかにひっそりと仙石山を示す地名碑が建てられている.ここで小森先生より谷地形についての詳しい解説をいただいた.ここは単なる高台ではなく,12万年前ごろと考えられる古い河川によって侵食された谷であり,その両脇に麻布台地と仙石山という台地が形成されたのだという.谷の両側は水の侵食を受けなかったため,約12万年にわたって関東ローム層が堆積し,厚さのある台地となった.こうした古い地形は,再開発が進み超高層ビルが立ち並ぶ今日もなお,この街の景観の一つとなっている.(写真2)
ほどなくして一同は,気象科学館・港区立みなと科学館に到着した.気象科学館は気象庁が運営する科学館で,2020年に虎ノ門の気象庁新庁舎2階にリニューアルオープンした施設であり,1階には港区立みなと科学館が併設されている.気象科学館では,気象に加えて地震・津波・火山などに関する防災知識を,体験型ゲームを通して学べる展示が充実していた.なかでも,波浪と津波を発生させて両者の違いを観察できる津波シミュレーターや,気象庁の予報官として防災対応をシミュレーションするコンテンツが印象的であった.また,港区立みなと科学館では,港区の自然環境や都市・海に関連する科学技術に関するインタラクティブな展示が充実していた.動植物などの自然,高層ビルに代表される都市の技術,消波ブロックや船,橋など海に関連した科学技術の展示が一体的に構成されており,港区の地域性を反映した幅広い内容が特徴的であった.
科学館での見学を終えた一同は,最終の目的地である愛宕山へ向かった.愛宕山は,標高25.7メートル,自然地形としては東京23区内の最高峰である.周囲を見渡すことのできる愛宕山は,江戸城無血開城とも深い縁をもち,当時勝海舟が西郷隆盛をこの山頂に誘い,眼下に広がる江戸の町を前に「ここを戦火で焼くべきではない」と語り合った場所であると伝えられている.我々は山頂で,愛宕神社の境内に設置された三等三角点と几号水準点が彫られた石碑を観察した.これらは日本の測量の歴史を示し,近代から現代へと続く測量の歴史を象徴していた.一同は出世の石段とは逆側から西山道を登り,山頂で観察を終えた後,名物の出世の石段を下りながら解散となった.(写真3)
今回の巡検を通じて,高層ビルに覆われた都心の風景の中にも,台地と谷,砂州といった「山の科学」の視点でとらえられる地形が確かに息づいていることを実感した.マンホールや古地図,三角点や地名碑といった手がかりを辿ることで,足元の都市空間に,江戸から現代に至る時間の流れを重ね合わせて見ることができた.さらに,小森先生のユーモアあふれる語り口が,複雑な地形史と現代の都市を見事に結びつけ,専門的な内容でありながら終始笑いの絶えない充実した巡検となった.都心の地形と歴史を,地図と現地の両方から味わう贅沢な半日を用意してくださった小森次郎先生,そして参加者の皆様に心より感謝申し上げ,巡検報告とする.


