第三回 現地討論会(生田緑地)の報告    今野明咲香(常盤大学)

日時:10月27日(日)9:00~12:30
案内者:磯谷達宏氏(国士舘大)・小森次郎氏(帝京平成大)・苅谷愛彦氏(専修大学)
集合:向ヶ丘遊園駅 (生田緑地で解散) テーマ:「山の科学で観る多摩の横山」多摩丘陵の地形・地質や生物,都市公園のありかたについて
参加者:20名(案内者含む)

日本山の科学会2019年秋季学術大会・シンポジウム翌日の2019年10月27日に開催された現地討論会「山の科学で観る多摩の横山」に本学の自然地理学を専攻する学部学生6名と共に参加した。当日の現地討論会の概要と当日の様子について紹介し,テーマの一つである都市公園のありかたについて考えたことを報告したい。当日の観察項目一覧を以下に,観察ルートと主な観察地点を図1に示す。

1. 向ヶ丘遊園駅南口集合
2. 多摩丘陵飯室山の稜線を概観
3. 本流の河畔侵食. 上総層群飯室層. 1.3Ma.
4. 上総層群飯室層の広域テフラ
5. 崩壊地形.(発生から数年と更に古い侵食地形)
6. 飯室山通過
7. 侵食がすすむ多摩丘陵,細尾根を通過
8. 枡形山広場. 展望台から東京側概観.
9. 広場下の立川ローム層.
10. 姶良丹沢火山灰(AT). 堆積速度lm≒1万年.
11. 尾根北側から谷底低地までの植生変化
12. 1971年ローム層崩壊実験事故跡(盛土(捨土)の崩壊.ずさんな体制と計画.)
13. 歩道脇の小規模崩壊(2017年発生.難透水層の上で発生した表層崩壊)
14. 中央広場(過去の飯室谷の谷戸)
15. 飯室層/おし沼層不整合(基底礫層をさがそう.砂礫層より上のブロック状の崩壊)
16. 崩壊斜面に出た飯室/おし沼層.飯室層
17. 東ロビジターセンター.解散

当日,参加者は9時に向ヶ丘遊園駅に集合し,多摩丘陵の生田緑地周辺地域で地形や地質,植生を中心に観察した。地形地質に関しては小森次郎氏(帝京平成大)と苅谷愛彦氏(専修大学),植生に関しては磯谷達宏氏(国士舘大),土壌移動プロセスに関しては佐々木明彦氏(国士館大)より解説があった。

図1 現地世討論会観察ルート
地理院地図の標準地図に自作の色別段彩図を重ねて作成
図中の数字は観察地点番号

向ヶ丘遊園駅から南下しながら丘陵に移動し,最初に観察したのは多摩川本流の浸食により形成された崖の露頭である(地点②と③;図1)。ここでは多摩丘陵の基盤をなす上総層群飯室層と,房総半島が模式地の登戸−Kd17テフラを観察し,この地域の地質の成り立ちについて説明をうけた(写真1)。

写真1 上総層群飯室層とそこに狭在する登戸-Kd17テフラについて解説する小森氏(地点③)

上総層群は,更新世前期(約100~200万年前)に関東平野一体が海(海盆)だった頃に堆積した,最大層厚1000 mを超す海成層であり,現地の露頭では微小な貝化石を見ることができた。この時代に海面下にあった関東南部の地形は大きなお椀のような形をしており,上総層群は西側の山地からの土砂供給によってこの凹地部分を埋めるようにして堆積したという。以前この上総層群をお椀の東側に当たる房総半島で見たことがあり,大都会の東京の地下通って50㎞以上離れた西側の多摩丘陵でも再度見たことで,関東平野の地形形成のダイナミックさを感じることができた。

地点③の露頭の観察後,地点④の飯室山へ登る階段で丘陵地の地形と植生を観察した(写真2)。谷頭凹地内では土砂移動が活発なため成長が早いエノキやミズキ,またササが多く繁茂し,周囲の頂部斜面では薪炭林の放置からなる雑木林が成立しているという説明を受けた。写真中央部(谷頭凹地)と両端部(頂部斜面)で分かりやすい植生のコントラストがあり,丘陵地の微地形に応じた典型的な植生配列を見ることができた。

写真2 谷頭部の地形と微地形に応じた植生(地点④)

その後,地点⑤の谷戸に成立した湿地では自然植生のハンノキ林を観察した。「神奈川県下においては自然植生のハンノキ群落はごく稀で、現存林分は皆無と言っても過言ではない(宮脇,1976)」と言われており,生田緑地が貴重な植生の保全のために役立っていることが分かった。
住宅地の中にある都市公園の中で,典型的な丘陵地の植生だけでなく貴重な現存ハンノキ林を観察することできたのはとても興味深かった。

最後の地点⑥では,約30万年前のおし沼砂礫層を観察した(写真3)。生田緑地は多摩Ⅱ面(おし沼面)という平坦な地形面上に位置しており,それを構成するおし沼砂礫層は扁平で淘汰の良い砂礫層であるという説明を受けた。このことから,この地域は世界的海進時(海洋酸素同位体ステージ9)に形成された海成面であり,当時この地域が波打ち際のような環境にあったことを示しているという。飯室層の泥岩とおし沼砂礫層,そしてその上に載る関東ローム層を見て,この地域が長い時間スケールの中で海から陸へと変化した様子を知ることができ,大地のロマンを感じることができた。

写真3 上総層群飯室層を不整合で覆うおし沼砂礫層(地点⑥)
地層境界を指で示す。

徒歩で回れる範囲に,魅力的な観察地点が多数あり充実した内容であったが,ほぼ予定時刻の12:30にビジターセンター(地点⑦)付近の露頭にて解散となった。
今回の現地討論会では,都市公園の意義を改めて考える機会となった。都市化が進む東京周辺域では,地形は改変され地表は構造物に覆われている。そのため,微地形に応じた植生配列や湿地に成立する貴重なハンノキ林の多くは姿を消しており,自然の地形や地質を見る事は簡単ではない。
長く東北地方で学生時代を過ごし,教科書や授業でしか知らなかった関東の地形や地質などを実際に見て歩くことができたのは,生田緑地としてこれらの露頭や自然が保存されていたからであり,都市公園の博物館的役割を実感した。自然や地史についてまだそれほど詳しくない本学の学部学生も,案内者の魅力的な解説のおかげで多摩丘陵の土地自然の面白さを感じ取っている様子であった。
しかしながら今回のように,現地を知る研究者と一緒に見て歩くことができる機会は限られており,まして研究者や学生ではない,生田緑地を単に公園として利用している市民がその魅力を知る機会はほとんどないであろう。これらの貴重な自然や露頭を保存していくためには一般市民にもその魅力を知ってもらうことが必要であり,現地を案内してくれる人がいなくてもその場所の地史や成り立ちを理解できる解説板を充実させるなど,研究者から公園管理者などに提案していくことも重要ではないかと考えた。
この現地討論会を通して,観察・教育の場としての都市公園の役割を実感したことで,後世の研究者や学生,市民が現地で学ぶことができる場所として残すことの重要性を認識し,研究者として何ができるかを考える良い機会となった。

2019年第二回現地討論会報告

新潟大学大学院自然科学研究科
山岳環境研究室 有江賢志朗

2018年11月25日に実施された日本山の科学会の第二回現地討論会に参加したので報告する.場所は,赤石山脈北東部に位置する鳳凰三山・地蔵ヶ岳の東面のドンドコ沢である.初めてドンドコ沢の名前を聞いた時,愉快な名前だと思いその由来について調べてみた.名前の由来には諸説ある.甲州では昔,子を授からない女性が地蔵ヶ岳の地蔵を借りてきて子宝を祈願するという慣わしがあった.地蔵を借りた女性が子を授かれば借りてきた地蔵ともう一体新しい地蔵を一緒にお返しする.お返しする際は,五名の女性が隊列を組んでお礼太鼓を「ドンドコドンドコ」叩きながら地蔵ヶ岳に登った.そして,この時に通る沢の名前は,ドンドコ沢と名付けられた.ドンドコ沢という愉快な名前には,深い意味があったのだ.
討論会報告に話を戻そう.ドンドコ沢には,巨大な段丘状岩屑地形が存在する.この巨大な岩屑地形は,苅谷(2012),苅谷(2013),木村ら(2018)などによって,“平安時代”に発生した“岩石なだれ”の堆積地形であることが明らかになっている.大規模崩落の発生時期を調べることは,崩落の発生間隔,土砂災害史,地形発達史などを論じる上で重要である(苅谷2018).今回の現地討論会の内容は,ドンドコ沢の巨大な岩屑地形の要因や年代決定の証拠を現地で観察することであった.本報では,①岩屑地形を“岩石なだれ”による堆積地形と判断した理由,②崩落の発生年代の証拠について,討論会の時系列に沿って報告する.今回の現地討論会の案内者は,専修大学の苅谷愛彦先生である.

① 岩屑地形を“岩石なだれ”による崩落堆積地形と判断した理由
討論会当日は快晴であった.討論会参加者は,午前9時に小武川と釜無川の合流付近のコンビニに集合し,各々の車で小武川沿いの道を上り,青木鉱泉付近の段丘状岩屑地形の末端を目指した.
岩屑地形の末端(図1,図2:地点1)に着くと,討論会資料の陰影図(図2)をみながら苅谷先生から説明を受けた.ドンドコ沢では,標高1400ⅿ付近で糸魚川―静岡構造線(図1の破線)が河道を横切り,上流側は白亜紀の花崗岩類,下流側はフォッサマグナを構成する堆積岩類の地質構造からなる.岩屑地形は糸静線をまたぐように存在しており,花崗岩の礫で構成されているため,ドンドコ沢上流から運ばれてきた堆積物であることを理解できる.
地点1から地点6(図1,図2)まで堆積物を左手に見ながら沢の左岸側を遡上した.沢の左岸側は堆積岩で構成されており,花崗岩の礫は見当たらない.岩屑地形は谷の右岸側のみに存在しており,流水成であれば,沢全体に堆積物が広がるので,流動性が低い岩石なだれであった可能性があると説明を受けた.
裸足で川を渡り,岩屑堆積物の露頭が観察できる地点6(図1,図2)に到着した.露頭の比高は20m以上ある.露頭では,下部層は本流の土石流堆積物,上部層は岩屑地形を構成する堆積物であると説明を受けた.両者の礫径を比較すると,岩屑地形を構成する花崗岩の方が大きい.また,この露頭の埋没土壌層を観察し,ここで採取された木片試料の放射性炭素年代から,この堆積地形は奈良―平安時代に形成されたことがわかっている.
高さ20ⅿを超える露頭の斜面を登ると(写真1),堆積地形上部では巨大な花崗岩の礫を観察できた(写真2).その中には,ジクソークラックと呼ばれる破砕構造を持つ礫があり,礫の破砕構造は,“岩石なだれ”にみられる特徴であると説明を受けた.
以上のことから,ドンドコ沢下流部に存在する段丘状岩屑地形は,花崗岩類であること,堆積物が沢の右岸側のみに集中していること,巨礫に破砕構造が観察されたことから,“岩石なだれ”による崩落堆積地形であることが理解できた.

図1 ドンドコ沢岩石なだれ堆積物(DRAD)の全体図.(討論会資料)

図2 ドンドコ沢の段丘状岩屑地形末端部付近の陰影図.(討論会資料)

 

写真1 堆積地形の斜面を登る鈴木啓助会長(地点6)

写真2 堆積地形上の巨大な花崗岩の礫

② 岩石なだれ地形の形成年代の証拠
“岩石なだれ”地形を登り,この地形によって右岸側の谷が堰き止められて形成された堰き止め湖の跡地に到着した(図1,図2:地点3).堰き止め湖の跡地付近の露頭では,水平に横たわった大径樹幹が観察できる(写真3).この水平の樹幹は,“岩石なだれ”によって折れた樹幹が湖に浮かんだものの可能性があり,この樹幹の枯死年代を年輪年代法で調べれば,1年単位で崩落年代を知ることができる.地点6の岩石なだれ堆積物の下部で取得された木片の放射性炭素年代の結果によると,崩落は奈良―平安時代に発生したことがわかっていたが(田力,2002;苅谷、2012),コンベンショナルな年輪年代測定の結果,この巨大な崩落は,平安時代のAD887の秋口に発生したことが明らかになった(苅谷ほか,2014).
しかしながら,この樹幹試料は,“岩石なだれ”の堆積物中から得られたものではなく,樹幹が枯死した原因と“岩石なだれ”との直接的な関係は明らかでないため,正確な崩落発生年代とは言い切れない.近年,上流部の“岩石なだれ”堆積物内に樹幹が発見され,その樹幹に対して年輪の酸素同位体比分析による編年をおこなえば,より信頼性の高い形成年代が確定できるそうだ.

写真3 堰き止め湖跡地付近の樹幹の様子(地点3)

地点3から沢を下った私たちは,車を駐車した場所に到着し,14時30分頃に解散した.現地討論会に参加して,ドンドコ沢の岩石なだれ地形の成因や年代について理解することができた.現地討論会では,現地調査の臨場感が感じられ,研究者の本音や今後の展望を聞くことができる.研究内容を知るだけでなく,研究者への質問や研究者の生の声を聞くことができる点が,現地討論会の魅力である.討論会前夜には甲州名物のほうとうを食べることができた.現地の食文化を楽しむことも現地討論会の魅力の一つである.

引用文献

苅谷愛彦(2012):赤石山地・地蔵ヶ岳東麓で奈良―平安時代に発生した大規模岩屑なだれ,地形,33(3),297-313.

苅谷愛彦(2013):年輪ウイグルマッチングによるドンドコ沢岩石なだれ発生年代の推定,日本地すべり学会誌,50(3),113-120.

苅谷愛彦,光谷拓実,井上公夫(2014):ドンドコ沢岩石なだれ堰き止め湖沼堆積物から得た大径木の年輪年代:AD887五畿七道地震の可能性,2014年日本地球惑星科学連合大会HDS29-P01.

苅谷愛彦(2018):富士川右支小武川・ドンドコ沢の巨大深層崩壊と岩石なだれ(887),いさぼうネットシリーズコラム,https://isabou.net/knowhow/colum-rekishi/colum49.asp

木村誇,山田隆ニ,苅谷愛彦,井上公夫(2018):赤石山地ドンドコ沢岩石なだれの発生に起因した地形変化の再検討, 日本地すべり学会誌,55(1),42-52.

田力正好(2002):糸魚川―静岡構造線活断層系南部,白州~韮崎付近の活構造と第四紀の活動史:活断層研究,21,33-49.

上高地現地討論会報告

アジア航測 安田正次

日本山の科学会2018年秋季大会の学術発表会・シンポジウムの翌日,2018年10月28日に上高地で開催された現地討論会に参加した.

当日9時に松本駅西口に集合し,信州大学のマイクロバスと山岳科学研究所の車で上高地へ移動した.移動しながら今回の案内役の横浜国立大学の若松伸彦氏から周辺の植生など(波田のケショウヤナギほか)について,日本ジオサービスの目代邦康氏から地形・地質や地史(道の駅「風穴の里」裏の風穴など)について説明があった.

釜トンネルを抜けた大正池取水口近くで一旦下車.奥穂高が白くなっていて素晴らしい景色を堪能する(写真1).ここでは焼岳東面の崩壊地や取水口に関係する浚渫事業について,また,割谷山南東面の崩壊地形について目代氏と専修大学の苅谷愛彦氏から説明があった.

写真1 大正池取水口付近

上高地バスターミナルに到着後は,上高地の地形と植生の関わりについて案内役の二人から説明を受ける.崩壊後の岩がごろごろしている場所では(写真2),ウラジロモミとシラビソ,オオシラビソが比較的多いとの説明を受ける.一般的には岩がちな場所ではコメツガなどが生育することが多いのだが,コメツガはあまり生えていないそうで,上高地は立地環境が特殊なことがよくわかる.

写真2 岩礫地上に成立している林分

明神岳を左に見ながら梓川左岸を上流へ移動しつつ,ハルニレやウラジロモミの林を抜けてさまざまな説明を受けた.その後,山岳科学研究所の上高地ステーションで昼食をとりながらマスの養殖場跡の説明なども受ける.

往きに時間を使いすぎたということで,帰りは梓川の右岸を早足に下山する.崖錐の説明や,大規模崩壊によって運ばれてきた巨岩群に成立する植生,河川流路の変化によって生じたと考えられる湿原などを観察しながら,バスターミナル着は15時.帰りのバスでは渋滞はほとんどなく16時頃には松本駅着,無事解散となった.

今回の現地検討会でもっとも印象的だったのは,扇状地を形成する小河川について(写真3),公園管理のために流路を固定し土砂を周辺へ積み上げ,結果として人工的に天井川を作っているという点だった.自然状態では,こういった小河川で時々おきる大規模な流下にともなって流路が変わることで森林を破壊し,崩壊地特有の植物種へ生息場所を提供しているという仕組みが成り立っている.こういった動的平衡状態によって上高地特有の植物種群が維持されているはずなのだが,その源である土砂の氾濫を人間がとめてしまうことによって,極相に向かって遷移が進み,特有の植物種が減少するという状況がみてとれた.

写真3 流路が固定された小河川

同様の事は主要河川である梓川でも行われており,こちらはヤナギの群落が危機にあるということだった.仕事柄,行政にも関わりがあり管理する立場も理解できるので心情的には辛いところではあるが,このままだと上高地の特殊性は失われ,ただの公園になってしまう.生態的な仕組みを深く理解せず,やみくもに現状を維持するという方針がとられている名勝地は全国に散見されるが,生態学的な知見が一般に広まってきている時代では,生態系に応じた方針の転換が必要であると痛感した.

上高地巡検に参加して

新潟大学理学部自然環境科学科4年
山岳環境研究室 杉山博崇

私の卒論研究のテーマは,日本を代表する登山ルートであり,観光地の側面を持つ白馬大雪渓周辺の地形変化である.今回の巡検がおこなわれる上高地も観光地として名高く,研究を進める上で糧になる知見が得られるだろうと期待して参加した.

天気は快晴だ.午前9時に松本駅前から上高地へと向かうバスに意気揚々と乗り込む.隣席の方に「新潟大学の4年生の杉山です」と挨拶したところ,「ああ,あの遅刻した杉山君だね」との返事が戻ってきた.恥ずかしながら私は新潟駅で乗る電車を間違えて,前日に開催された学会のポスター発表を大幅に遅刻していたのである.初めての学会発表は散々なデビューであったが,今日は上高地を楽しもうという自分がいた.車窓の景色を楽しんでいるとバスが山に入りはじめる.車窓は鮮やかな紅葉で明るくなり,寝ていた人も起きて写真を撮りはじめ満足気にほほ笑む.すばらしい紅葉の景色は,私の上高地への期待感を確実に高めていった.大正池に到着する.バスを降りると,「うっ」となる.暖かな車内とはうってかわり外はかなり寒く,この寒さは私の昨日の心の傷口にかなりしみた.大正池からみえる薄雪化粧した穂高連峰は雄大であり,山の厳しさが伝わってきた(写真1).

写真1 大正池からみた穂高連峰

河童橋から巡検がはじまった.本日の巡検のテーマは,「上高地の地形と植生――その価値と保全」で,案内者は日本ジオサービスの目代邦康氏と横浜国立大学の若松伸彦氏である.河童橋の右岸(側)には立派なケショウヤナギが生育していた.案内者の説明によると,ケショウヤナギは上高地や北海道の札内川などに限定して生育する貴重な種で,梓川の洪水時の河床の撹拌により生育場所が作られているという(写真2).しかし,国の事業は,上高地の建造物を保護するために堤防で河道を固定してしまい,この政策がケショウヤナギの生育場所を狭めてしまっているようだ.長い間維持されてきた上高地の地形と生態系のバランスが人の手によって変化しているのである.

写真2 梓川に生育するケショウヤナギ

梓川の左岸の登山道を上流へと歩いた.登山道は山からの土石流で形成された沖積錐を横断する.この沖積錐も上高地を代表する地形だ.いくつもの沖積錐を通る登山道は,自分の目の高さを変え,みえる景色も変えてくれる.ここでは同じような景色が続くという退屈な演出はなく,ただ歩くだけで十分に楽しめる.河床を流れる水流は網状に張り巡らされ,鮮やかな山の黄葉と河床の灰色のコントラストがすばらしい.巡検中,この美しい上高地の景色に見とれてしまい,私は当初の参加動機など忘れてしまっていた.気がつくと私は集団から離れ,左岸側の重要な説明を完全に聞き逃していた.

巡検では,山に関わる様々な分野の研究者が参加している.崩壊地形の巨礫が散在する場所があれば,地形学者がその地形の成因について,植物学者が礫の上に生える植物について,生物学者が巨礫の堆積によって作られる間隙に生息する動物について説明をするといった具合に,他分野の参加者の説明を同じ場所で聞くことができる.一つの場所を見るだけでも異分野の参加者たちが和気あいあいと議論を交わす時間は私にとっても有意義なものであるのだが,その議論に入ることができない未熟さも痛感した.

巡検が終わり,帰路につくバスの中でボーっと車窓を眺めながら今日の上高地の場面を思い返していた.初めて上高地に足を踏み入れた場面や,参加者たちの白熱した議論の場面を再生するのだが,どうも違和感しかない.どの場面にも多くの観光客,人工構造物,バスの列が入り込んでくるのだ(写真3).そう上高地は,美しい贅沢な自然と人工構造物という相反するものが一体化した場所だったのだ.巡検の最後に,「環境を保護する政策が,自然を破壊している」との説明があった.私が見た上高地はほんの一部だけだが,ここでは人工構造物のようなハードな政策の側面ばかりが目立つものだから,自然を守るというより観光地を守っているように私の目には映った.

写真3 上高地に停車するバスの行列

日本山の科学会 第2回現地討論会【参加者募集のお知らせ】

◆内容:山梨県韮崎市青木鉱泉付近に、奈良ー平安時代に南アルプス地蔵ヶ岳で生じた巨大深層崩壊の痕跡をたずねます(巨礫集積地形、堰き止め湖成層、土石流地形等)。
◆地図:https://goo.gl/G14PuF (地理院地図)
◆日程:2018年11月25日(日)
◆集合:午前8時45分 JR中央線 韮崎駅前
◆解散:午後4時頃 同駅にて(予定)
◆費用:3000円(現地移動費・安全対策費等)
◆募集人員:12名(先着順)
◆主要文献:1)苅谷(2012):地形,33,297-313.2)Yamada et al(2017)Quaternary
Geochronology,44.3)木村ほか(2018)日本地すべり学会誌,55, 42-52.
◆申し込み方法:以下のフォームを埋めて世話人(専修大学 苅谷愛彦 kariya@isc.senshu-u.ac.jp
)までメールで送信。
受付後に確認メールを返信します。
いただいた個人情報は保険手続き・緊急連絡など、この企画に限定して使用します。
申し込み期限=11月15日(木)午後5時
◆その他:韮崎-現地間はミニバン車で移動します。持ち物等詳細は参加確定者に連絡します。

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(参加申し込みフォーム)

・氏名:
・フリガナ:
・性別:
・所属:
・生年月日(西暦):
・郵便番号と住所:
・当日連絡先(携帯電話番号):

送信先 kariya@isc.senshu-u.ac.jp
期限 11月15日(木)17時

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日本山の科学会事務局
e-mail: inf@jasms.sakura.ne.jp

国士舘大学文学部 地理学教室
〒154-8515 東京都世田谷区世田谷4-28-1
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