現地討論会

2019年第二回現地討論会報告

掲載日:2020年1月15日

新潟大学大学院自然科学研究科
山岳環境研究室 有江賢志朗

2018年11月25日に実施された日本山の科学会の第二回現地討論会に参加したので報告する.場所は,赤石山脈北東部に位置する鳳凰三山・地蔵ヶ岳の東面のドンドコ沢である.初めてドンドコ沢の名前を聞いた時,愉快な名前だと思いその由来について調べてみた.名前の由来には諸説ある.甲州では昔,子を授からない女性が地蔵ヶ岳の地蔵を借りてきて子宝を祈願するという慣わしがあった.地蔵を借りた女性が子を授かれば借りてきた地蔵ともう一体新しい地蔵を一緒にお返しする.お返しする際は,五名の女性が隊列を組んでお礼太鼓を「ドンドコドンドコ」叩きながら地蔵ヶ岳に登った.そして,この時に通る沢の名前は,ドンドコ沢と名付けられた.ドンドコ沢という愉快な名前には,深い意味があったのだ.

討論会報告に話を戻そう.ドンドコ沢には,巨大な段丘状岩屑地形が存在する.この巨大な岩屑地形は,苅谷(2012),苅谷(2013),木村ら(2018)などによって,“平安時代”に発生した“岩石なだれ”の堆積地形であることが明らかになっている.大規模崩落の発生時期を調べることは,崩落の発生間隔,土砂災害史,地形発達史などを論じる上で重要である(苅谷2018).今回の現地討論会の内容は,ドンドコ沢の巨大な岩屑地形の要因や年代決定の証拠を現地で観察することであった.本報では,①岩屑地形を“岩石なだれ”による堆積地形と判断した理由,②崩落の発生年代の証拠について,討論会の時系列に沿って報告する.今回の現地討論会の案内者は,専修大学の苅谷愛彦先生である.

① 岩屑地形を“岩石なだれ”による崩落堆積地形と判断した理由

討論会当日は快晴であった.討論会参加者は,午前9時に小武川と釜無川の合流付近のコンビニに集合し,各々の車で小武川沿いの道を上り,青木鉱泉付近の段丘状岩屑地形の末端を目指した.

岩屑地形の末端(図1,図2:地点1)に着くと,討論会資料の陰影図(図2)をみながら苅谷先生から説明を受けた.ドンドコ沢では,標高1400ⅿ付近で糸魚川―静岡構造線(図1の破線)が河道を横切り,上流側は白亜紀の花崗岩類,下流側はフォッサマグナを構成する堆積岩類の地質構造からなる.岩屑地形は糸静線をまたぐように存在しており,花崗岩の礫で構成されているため,ドンドコ沢上流から運ばれてきた堆積物であることを理解できる.

地点1から地点6(図1,図2)まで堆積物を左手に見ながら沢の左岸側を遡上した.沢の左岸側は堆積岩で構成されており,花崗岩の礫は見当たらない.岩屑地形は谷の右岸側のみに存在しており,流水成であれば,沢全体に堆積物が広がるので,流動性が低い岩石なだれであった可能性があると説明を受けた.

裸足で川を渡り,岩屑堆積物の露頭が観察できる地点6(図1,図2)に到着した.露頭の比高は20m以上ある.露頭では,下部層は本流の土石流堆積物,上部層は岩屑地形を構成する堆積物であると説明を受けた.両者の礫径を比較すると,岩屑地形を構成する花崗岩の方が大きい.また,この露頭の埋没土壌層を観察し,ここで採取された木片試料の放射性炭素年代から,この堆積地形は奈良―平安時代に形成されたことがわかっている.

高さ20ⅿを超える露頭の斜面を登ると(写真1),堆積地形上部では巨大な花崗岩の礫を観察できた(写真2).その中には,ジクソークラックと呼ばれる破砕構造を持つ礫があり,礫の破砕構造は,“岩石なだれ”にみられる特徴であると説明を受けた.

以上のことから,ドンドコ沢下流部に存在する段丘状岩屑地形は,花崗岩類であること,堆積物が沢の右岸側のみに集中していること,巨礫に破砕構造が観察されたことから,“岩石なだれ”による崩落堆積地形であることが理解できた.

図1 ドンドコ沢岩石なだれ堆積物(DRAD)の全体図.(討論会資料)
図1 ドンドコ沢岩石なだれ堆積物(DRAD)の全体図.(討論会資料)
図2 ドンドコ沢の段丘状岩屑地形末端部付近の陰影図.(討論会資料)
図2 ドンドコ沢の段丘状岩屑地形末端部付近の陰影図.(討論会資料)
写真1 堆積地形の斜面を登る鈴木啓助会長(地点6)
写真1 堆積地形の斜面を登る鈴木啓助会長(地点6)
写真2 堆積地形上の巨大な花崗岩の礫
写真2 堆積地形上の巨大な花崗岩の礫

② 岩石なだれ地形の形成年代の証拠

“岩石なだれ”地形を登り,この地形によって右岸側の谷が堰き止められて形成された堰き止め湖の跡地に到着した(図1,図2:地点3).堰き止め湖の跡地付近の露頭では,水平に横たわった大径樹幹が観察できる(写真3).この水平の樹幹は,“岩石なだれ”によって折れた樹幹が湖に浮かんだものの可能性があり,この樹幹の枯死年代を年輪年代法で調べれば,1年単位で崩落年代を知ることができる.地点6の岩石なだれ堆積物の下部で取得された木片の放射性炭素年代の結果によると,崩落は奈良―平安時代に発生したことがわかっていたが(田力,2002;苅谷、2012),コンベンショナルな年輪年代測定の結果,この巨大な崩落は,平安時代のAD887の秋口に発生したことが明らかになった(苅谷ほか,2014).

しかしながら,この樹幹試料は,“岩石なだれ”の堆積物中から得られたものではなく,樹幹が枯死した原因と“岩石なだれ”との直接的な関係は明らかでないため,正確な崩落発生年代とは言い切れない.近年,上流部の“岩石なだれ”堆積物内に樹幹が発見され,その樹幹に対して年輪の酸素同位体比分析による編年をおこなえば,より信頼性の高い形成年代が確定できるそうだ.

写真3 堰き止め湖跡地付近の樹幹の様子(地点3)
写真3 堰き止め湖跡地付近の樹幹の様子(地点3)

地点3から沢を下った私たちは,車を駐車した場所に到着し,14時30分頃に解散した.現地討論会に参加して,ドンドコ沢の岩石なだれ地形の成因や年代について理解することができた.現地討論会では,現地調査の臨場感が感じられ,研究者の本音や今後の展望を聞くことができる.研究内容を知るだけでなく,研究者への質問や研究者の生の声を聞くことができる点が,現地討論会の魅力である.討論会前夜には甲州名物のほうとうを食べることができた.現地の食文化を楽しむことも現地討論会の魅力の一つである.

引用文献

  • 苅谷愛彦(2012):赤石山地・地蔵ヶ岳東麓で奈良―平安時代に発生した大規模岩屑なだれ,地形,33(3),297-313.
  • 苅谷愛彦(2013):年輪ウイグルマッチングによるドンドコ沢岩石なだれ発生年代の推定,日本地すべり学会誌,50(3),113-120.
  • 苅谷愛彦,光谷拓実,井上公夫(2014):ドンドコ沢岩石なだれ堰き止め湖沼堆積物から得た大径木の年輪年代:AD887五畿七道地震の可能性,2014年日本地球惑星科学連合大会HDS29-P01.
  • 苅谷愛彦(2018):富士川右支小武川・ドンドコ沢の巨大深層崩壊と岩石なだれ(887),いさぼうネットシリーズコラム,https://isabou.net/knowhow/colum-rekishi/colum49.asp
  • 木村誇,山田隆ニ,苅谷愛彦,井上公夫(2018):赤石山地ドンドコ沢岩石なだれの発生に起因した地形変化の再検討, 日本地すべり学会誌,55(1),42-52.
  • 田力正好(2002):糸魚川―静岡構造線活断層系南部,白州~韮崎付近の活構造と第四紀の活動史:活断層研究,21,33-49.