現地討論会

上高地巡検に参加して

掲載日:2019年2月28日

新潟大学理学部自然環境科学科4年
山岳環境研究室 杉山博崇

私の卒論研究のテーマは,日本を代表する登山ルートであり,観光地の側面を持つ白馬大雪渓周辺の地形変化である.今回の巡検がおこなわれる上高地も観光地として名高く,研究を進める上で糧になる知見が得られるだろうと期待して参加した.

天気は快晴だ.午前9時に松本駅前から上高地へと向かうバスに意気揚々と乗り込む.隣席の方に「新潟大学の4年生の杉山です」と挨拶したところ,「ああ,あの遅刻した杉山君だね」との返事が戻ってきた.恥ずかしながら私は新潟駅で乗る電車を間違えて,前日に開催された学会のポスター発表を大幅に遅刻していたのである.初めての学会発表は散々なデビューであったが,今日は上高地を楽しもうという自分がいた.車窓の景色を楽しんでいるとバスが山に入りはじめる.車窓は鮮やかな紅葉で明るくなり,寝ていた人も起きて写真を撮りはじめ満足気にほほ笑む.すばらしい紅葉の景色は,私の上高地への期待感を確実に高めていった.大正池に到着する.バスを降りると,「うっ」となる.暖かな車内とはうってかわり外はかなり寒く,この寒さは私の昨日の心の傷口にかなりしみた.大正池からみえる薄雪化粧した穂高連峰は雄大であり,山の厳しさが伝わってきた(写真1).

写真1 大正池からみた穂高連峰
写真1 大正池からみた穂高連峰

河童橋から巡検がはじまった.本日の巡検のテーマは,「上高地の地形と植生――その価値と保全」で,案内者は日本ジオサービスの目代邦康氏と横浜国立大学の若松伸彦氏である.河童橋の右岸(側)には立派なケショウヤナギが生育していた.案内者の説明によると,ケショウヤナギは上高地や北海道の札内川などに限定して生育する貴重な種で,梓川の洪水時の河床の撹拌により生育場所が作られているという(写真2).しかし,国の事業は,上高地の建造物を保護するために堤防で河道を固定してしまい,この政策がケショウヤナギの生育場所を狭めてしまっているようだ.長い間維持されてきた上高地の地形と生態系のバランスが人の手によって変化しているのである.

写真2 梓川に生育するケショウヤナギ
写真2 梓川に生育するケショウヤナギ

梓川の左岸の登山道を上流へと歩いた.登山道は山からの土石流で形成された沖積錐を横断する.この沖積錐も上高地を代表する地形だ.いくつもの沖積錐を通る登山道は,自分の目の高さを変え,みえる景色も変えてくれる.ここでは同じような景色が続くという退屈な演出はなく,ただ歩くだけで十分に楽しめる.河床を流れる水流は網状に張り巡らされ,鮮やかな山の黄葉と河床の灰色のコントラストがすばらしい.巡検中,この美しい上高地の景色に見とれてしまい,私は当初の参加動機など忘れてしまっていた.気がつくと私は集団から離れ,左岸側の重要な説明を完全に聞き逃していた.

巡検では,山に関わる様々な分野の研究者が参加している.崩壊地形の巨礫が散在する場所があれば,地形学者がその地形の成因について,植物学者が礫の上に生える植物について,生物学者が巨礫の堆積によって作られる間隙に生息する動物について説明をするといった具合に,他分野の参加者の説明を同じ場所で聞くことができる.一つの場所を見るだけでも異分野の参加者たちが和気あいあいと議論を交わす時間は私にとっても有意義なものであるのだが,その議論に入ることができない未熟さも痛感した.

巡検が終わり,帰路につくバスの中でボーっと車窓を眺めながら今日の上高地の場面を思い返していた.初めて上高地に足を踏み入れた場面や,参加者たちの白熱した議論の場面を再生するのだが,どうも違和感しかない.どの場面にも多くの観光客,人工構造物,バスの列が入り込んでくるのだ(写真3).そう上高地は,美しい贅沢な自然と人工構造物という相反するものが一体化した場所だったのだ.巡検の最後に,「環境を保護する政策が,自然を破壊している」との説明があった.私が見た上高地はほんの一部だけだが,ここでは人工構造物のようなハードな政策の側面ばかりが目立つものだから,自然を守るというより観光地を守っているように私の目には映った.

写真3 上高地に停車するバスの行列
写真3 上高地に停車するバスの行列