上高地現地討論会報告

アジア航測 安田正次

日本山の科学会2018年秋季大会の学術発表会・シンポジウムの翌日,2018年10月28日に上高地で開催された現地討論会に参加した.

当日9時に松本駅西口に集合し,信州大学のマイクロバスと山岳科学研究所の車で上高地へ移動した.移動しながら今回の案内役の横浜国立大学の若松伸彦氏から周辺の植生など(波田のケショウヤナギほか)について,日本ジオサービスの目代邦康氏から地形・地質や地史(道の駅「風穴の里」裏の風穴など)について説明があった.

釜トンネルを抜けた大正池取水口近くで一旦下車.奥穂高が白くなっていて素晴らしい景色を堪能する(写真1).ここでは焼岳東面の崩壊地や取水口に関係する浚渫事業について,また,割谷山南東面の崩壊地形について目代氏と専修大学の苅谷愛彦氏から説明があった.

写真1 大正池取水口付近

上高地バスターミナルに到着後は,上高地の地形と植生の関わりについて案内役の二人から説明を受ける.崩壊後の岩がごろごろしている場所では(写真2),ウラジロモミとシラビソ,オオシラビソが比較的多いとの説明を受ける.一般的には岩がちな場所ではコメツガなどが生育することが多いのだが,コメツガはあまり生えていないそうで,上高地は立地環境が特殊なことがよくわかる.

写真2 岩礫地上に成立している林分

明神岳を左に見ながら梓川左岸を上流へ移動しつつ,ハルニレやウラジロモミの林を抜けてさまざまな説明を受けた.その後,山岳科学研究所の上高地ステーションで昼食をとりながらマスの養殖場跡の説明なども受ける.

往きに時間を使いすぎたということで,帰りは梓川の右岸を早足に下山する.崖錐の説明や,大規模崩壊によって運ばれてきた巨岩群に成立する植生,河川流路の変化によって生じたと考えられる湿原などを観察しながら,バスターミナル着は15時.帰りのバスでは渋滞はほとんどなく16時頃には松本駅着,無事解散となった.

今回の現地検討会でもっとも印象的だったのは,扇状地を形成する小河川について(写真3),公園管理のために流路を固定し土砂を周辺へ積み上げ,結果として人工的に天井川を作っているという点だった.自然状態では,こういった小河川で時々おきる大規模な流下にともなって流路が変わることで森林を破壊し,崩壊地特有の植物種へ生息場所を提供しているという仕組みが成り立っている.こういった動的平衡状態によって上高地特有の植物種群が維持されているはずなのだが,その源である土砂の氾濫を人間がとめてしまうことによって,極相に向かって遷移が進み,特有の植物種が減少するという状況がみてとれた.

写真3 流路が固定された小河川

同様の事は主要河川である梓川でも行われており,こちらはヤナギの群落が危機にあるということだった.仕事柄,行政にも関わりがあり管理する立場も理解できるので心情的には辛いところではあるが,このままだと上高地の特殊性は失われ,ただの公園になってしまう.生態的な仕組みを深く理解せず,やみくもに現状を維持するという方針がとられている名勝地は全国に散見されるが,生態学的な知見が一般に広まってきている時代では,生態系に応じた方針の転換が必要であると痛感した.

上高地巡検に参加して

新潟大学理学部自然環境科学科4年
山岳環境研究室 杉山博崇

私の卒論研究のテーマは,日本を代表する登山ルートであり,観光地の側面を持つ白馬大雪渓周辺の地形変化である.今回の巡検がおこなわれる上高地も観光地として名高く,研究を進める上で糧になる知見が得られるだろうと期待して参加した.

天気は快晴だ.午前9時に松本駅前から上高地へと向かうバスに意気揚々と乗り込む.隣席の方に「新潟大学の4年生の杉山です」と挨拶したところ,「ああ,あの遅刻した杉山君だね」との返事が戻ってきた.恥ずかしながら私は新潟駅で乗る電車を間違えて,前日に開催された学会のポスター発表を大幅に遅刻していたのである.初めての学会発表は散々なデビューであったが,今日は上高地を楽しもうという自分がいた.車窓の景色を楽しんでいるとバスが山に入りはじめる.車窓は鮮やかな紅葉で明るくなり,寝ていた人も起きて写真を撮りはじめ満足気にほほ笑む.すばらしい紅葉の景色は,私の上高地への期待感を確実に高めていった.大正池に到着する.バスを降りると,「うっ」となる.暖かな車内とはうってかわり外はかなり寒く,この寒さは私の昨日の心の傷口にかなりしみた.大正池からみえる薄雪化粧した穂高連峰は雄大であり,山の厳しさが伝わってきた(写真1).

写真1 大正池からみた穂高連峰

河童橋から巡検がはじまった.本日の巡検のテーマは,「上高地の地形と植生――その価値と保全」で,案内者は日本ジオサービスの目代邦康氏と横浜国立大学の若松伸彦氏である.河童橋の右岸(側)には立派なケショウヤナギが生育していた.案内者の説明によると,ケショウヤナギは上高地や北海道の札内川などに限定して生育する貴重な種で,梓川の洪水時の河床の撹拌により生育場所が作られているという(写真2).しかし,国の事業は,上高地の建造物を保護するために堤防で河道を固定してしまい,この政策がケショウヤナギの生育場所を狭めてしまっているようだ.長い間維持されてきた上高地の地形と生態系のバランスが人の手によって変化しているのである.

写真2 梓川に生育するケショウヤナギ

梓川の左岸の登山道を上流へと歩いた.登山道は山からの土石流で形成された沖積錐を横断する.この沖積錐も上高地を代表する地形だ.いくつもの沖積錐を通る登山道は,自分の目の高さを変え,みえる景色も変えてくれる.ここでは同じような景色が続くという退屈な演出はなく,ただ歩くだけで十分に楽しめる.河床を流れる水流は網状に張り巡らされ,鮮やかな山の黄葉と河床の灰色のコントラストがすばらしい.巡検中,この美しい上高地の景色に見とれてしまい,私は当初の参加動機など忘れてしまっていた.気がつくと私は集団から離れ,左岸側の重要な説明を完全に聞き逃していた.

巡検では,山に関わる様々な分野の研究者が参加している.崩壊地形の巨礫が散在する場所があれば,地形学者がその地形の成因について,植物学者が礫の上に生える植物について,生物学者が巨礫の堆積によって作られる間隙に生息する動物について説明をするといった具合に,他分野の参加者の説明を同じ場所で聞くことができる.一つの場所を見るだけでも異分野の参加者たちが和気あいあいと議論を交わす時間は私にとっても有意義なものであるのだが,その議論に入ることができない未熟さも痛感した.

巡検が終わり,帰路につくバスの中でボーっと車窓を眺めながら今日の上高地の場面を思い返していた.初めて上高地に足を踏み入れた場面や,参加者たちの白熱した議論の場面を再生するのだが,どうも違和感しかない.どの場面にも多くの観光客,人工構造物,バスの列が入り込んでくるのだ(写真3).そう上高地は,美しい贅沢な自然と人工構造物という相反するものが一体化した場所だったのだ.巡検の最後に,「環境を保護する政策が,自然を破壊している」との説明があった.私が見た上高地はほんの一部だけだが,ここでは人工構造物のようなハードな政策の側面ばかりが目立つものだから,自然を守るというより観光地を守っているように私の目には映った.

写真3 上高地に停車するバスの行列

日本山の科学会2018年秋季研究大会(松本)の報告

『日本山の科学会2018年秋季研究大会(松本)』(信州山の環境研究センター・信州大学理学部 共催)が,2018年10月27日(土)に信州大学理学部において開催された。午前に行われた研究発表は43件で,51名の参加があった。今大会での研究発表はすべてポスター形式で行われ,発表の半数をそれぞれ1時間のコアタイムで実施した。大学院生や学部生の発表も多く,活発な議論が交わされた。また学生優秀発表賞2件,若手優秀発表賞1件を選出し,表彰した。これについては別記報告を参照されたい。

午後には,一般公開シンポジウム『日本アルプスの自然環境―わかってきたことと,これから』が,一般参加者40名を含む計91名の参加により開催された。日本アルプスの自然環境に関する雪氷,植物生態,昆虫生態,火山および環境保全の5件の講演が行われ,総合討論ではフロアからたくさんの質問が寄せられ,活発な討論が交わされた。

秋季研究大会に併せて,昼には日本山の科学会の総会が開催された。また,夕方にはホテル・モンターニュ松本において研究交流会が催され,会員の親睦,交流が深まった。
(報告 佐々木明彦)

研究発表大会の様子
研究発表大会後の記念写真撮影
一般公開シンポジウムの様子